2013-10

産経新聞より

少し前の産経夕刊に出ていた詩。
ぐっと来たが、やはり共感した人が多かったようで、
今日の産経夕刊の1面に再度紹介されていた。
 
んが、新聞で読んだのと、ネットで見るのとでは
印象がちょっと違う。
文章は同じなのに、受ける印象が違うのはちょっと不思議。
原文は“ひらがな”ばかりだったような気が・・・。
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別子銅山観光(愛媛県)(8)

レポ(7)で廃線跡を上から撮影した場所。「太鼓橋」という名前らしい。
選鉱所へ入るための橋だったらしいが、現在は使われてない感じ。
橋の銘も外されていた。橋の側面には電線を通す碍子(がいし)が残っていた。
 
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 イメージ 11
 
星越地区は住友の社員が住んでいた住宅地区で、社宅が密集していたらしい。
当時の写真を見ると、駅前は瓦屋根でひしめき合っている感じ。立てられた当時だと、高級住宅になるらしい。
 
庭付きで、サザエさんとかに出てきそうな雰囲気の家。(どんなんやねん…)
 
ただ、閉山してからは住民の数も減っているようで、家はほとんど解体されて、今は空き地になっている。
残っている家も住んでいるのはまばらのようで、
雨戸が締め切られた家が何軒もあった。
 
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住宅地の通りは緩やかな斜度がついている。
両脇には垣根の木が植えられていて、ある程度は
手入れをされているが、そのうちこの垣根もなくなってしまうんだろう。
 
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住宅の奥まった所にはゴルフクラブ(住友倶楽部)があり、
社員のみ利用可能とあった。人の気配はしたし、
高級外車は停まっていたので、誰かは来ているんだろうが、
ここはどうするんだろ…(-_-;)
 
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最後に、線路跡を少し海側にたどり、
ぐるっと一回りしてから帰路へ。
ひたすら下道で帰ったので、かなり時間がかかったが、
一人なので割と自由。途中仮眠も取りつつ、夜中に無事帰宅。
 
雨なのは残念だったが、おかげでいろんな所を
回れてとても面白かった。
自分へのお土産は別子銅山の小冊子。
当時の写真などが掲載されている物で今の景色と
見比べられる。
 
イオン新居浜の近くにある図書館は
住友が建てた(?)別子銅山記念図書館
入口を入ってすぐに銅山関係の資料棚がある。
歴史から公害など、大人から子供向けまで幅広い銅山に
関係する図書が並んでいた。
(もちろん旅行中に読んでいく暇はないけど…)
 
次回がいつになるか分からないけど、
また新居浜市を見に来たいと思った。
 
おしまい(長々とイメージ 12

別子銅山観光(愛媛県)(7)

記念館のすぐ横には広いグラウンドがあり、
石段の観客席がある。(山根グラウンド)
この石段、最近の物かと思いきや、これも鉱山関係の施設。
住友の社員が作務としてボランティアで作成したらしい。
完成したのは昭和3年。お祭りやいろんな行事がここで
行われているそうな。 
 
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きれいな曲線を描いていて、しばらくうろうろ。写真もたくさん撮ったが、これといった写真は撮れずイメージ 11
 
ここも一見の価値ありかと。  
 
 
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次に移動して見たのは、星越駅舎跡。
現在は廃線となっており、建物がかろうじて残るのみ。
場所はイオン新居浜のすぐ近く。
おかげで買い物客の渋滞に巻き込まれた…orz。
 
地図右上の図書館で場所を聞き、下の赤丸(駅舎跡)の所まで移動。
 
 
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駅舎の横はすぐ選鉱所跡になっている。
門の隙間からカメラだけ入れて撮影。
カメラ落としそうでドキドキ…イメージ 12
 
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 →画面奥が駅舎跡。ちょうど足元が廃線跡になる。線路は撤去済み。でも草はきちんと刈られていて、今でも線路を敷けそうな雰囲気。
 
 つ づ く

ステッカー

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嫁が見つけてきてくれた自転車ステッカー♪

別子銅山観光(愛媛県)(6)

 
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新居浜市に戻る途中、廃線跡が視界に入ったので、
車を停めて徒歩で散策。ちょうど自治会館の建物があり、
車を少し止められそうだったので、停めてうろうろ。(↑の赤○のあたり)
 
帰ってから調べてみたら、その自治会館のあった地区も
鉱山関係の集落だったようだ。 (立川地区)
廃線跡がしっかり残っており、草も刈られていて、散策できそう。
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側溝にはコンクリートのフタがされており、隙間がない。
何か意味があるんだろうか?すこし上流に向かって歩くと
鉄道らしい綺麗なカーブが出てきた。
 
住宅が建っている場所よりすこし高台に軌道を
敷いたようで、見晴らしがよい。
トンネルも残っていて、当時の様子が分かる。
ただ、怖かったので中には入らず…(^_^;)
 
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 立川地区を見終え、別子銅山記念館へ。
ここも無料で見学できる。資料館ではなく
記念館ね。
銅山に関係する神社も隣にあって、ちょっと変わった記念館。当時使われていたSLなども神社の境内に屋外展示されている。
SLがある神社って珍しいんじゃないかな…?
 
記念館の屋根の部分はサツキが植えられていて、花の時期にはこの緑の部分がピンク色に染まるようだ。
 
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記念館内は撮影禁止。イメージ 12
ダメか・・・。
受付を済ませ、中を散策。
銅山の生い立ちや住友財閥の歴史なども展示されていた。
 
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 特に眼を引いたのは、坑道の立体模型。
ワイヤーで山の形と行動を3Dで作成していて、
その規模がよく分かった。最初は遠目に見て、
何かのモニュメントかな~?と思って近寄ったのだが、
坑道と気づいてびっくり。印刷された2Dの物よりはるかに
よく分かった。これは一見の価値あり。
 
ただ、残念なのは、企業側の資料ばかりで、
坑員たちの生の声が展示されていなかった点イメージ 13
 
こういう仕事ってどうしても裏の面があるのが当然で、
事故であったり、外国から労働者を連れてきて、
厳しい労働環境で働かせていたり、公害や自然災害など
さまざまな“負”の面があるはず。
 
そういった、マイナスの面も歴史として認識し、
公にしてほしかったというのが感想。
公害(煙害)があったという事実は掲載されていたが、
その他の事は詳しくは書かれていなかった。
 
それはそれで興味あるんだけどな~。
 
つづく

別子銅山観光(愛媛県)(5)

 
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← マークのある所が東平(とうなる)歴史資料館。
マークの少し上にあるマイントピア別子が道の駅で
端出場(はでば)と呼ばれた所。
ここから新居浜に向かって鉱山鉄道が伸びていた。
 
地図の右下部分が鉱脈のある山岳地帯。
日本3大銅山だったらしい。
東平歴史資料館より南部も他にも遺構が
たくさん残っているらしい。
 
また次に行った時はそちらも行ってみたいな~。
 
 
 
 
第三発電所跡を見終えて、再び資料館へ。 
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前日も入ったが、寒くて長時間見学できなかったので、
この日はじっくり見られた。当時の写真もたくさん掲載されていて、
様子がよく分かる。今の状態からは本当に想像できないくらい建物が
密集して建っていて驚かされる。
 
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 イメージ 5
 
当時としてはカメラは貴重なものだったのだろうが、
よくこれだけ撮れたな~と感心するくらい撮られている。
人の表情なども写っていて、ここに本当に人が
住んでいたんだと感じる事ができた。
 
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12時頃まで東平地区を見学し、車で道の駅へ戻る。
道の駅の中にある資料をもう一度見てみると、この場所があそこかと
分かって面白かった。
 
また、道の駅のお土産コーナーに「索道」の模型があって、頭上を
ゴンドラが行ったり来たりしていた。
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 索道はロープウェイの事で、鉱石などをふもとにおろすルートになっている。動力は使わず、鉱石の重さで上から下にゴンドラを動かしていたらしい。ふもとから荷物を上にあげる事もあったとか。昔の支柱は木製だったようで、その当時の写真も掲載されていた。
 
嫁にお土産を買って、新居浜市の方へ移動~。
 
  つづく

別子銅山観光(愛媛県)(4)

 坑道内は支柱が新たに建てられていて、作業員が入れるようになっている。
 誰が何の目的で入るんだろ・・・?昨日のニュースで兵庫県の
坑道跡を使って、日本酒を作るというのが放送されていたが、
ここはどう使うんだろう?
 
黄色い門扉の横からは登山道が始まっており、
おおよその所要時間が書かれている。
行って帰って3時間ほど?
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広場にある第三発電所は「3つ目の」という意味ではなく、
地名の第三から取った名称との事。
んじゃ地名の第一第二はぁ~?イメージ 11
 
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鉄道の旧発電所跡というのは結構残っていたりするのだが、
実際に中に入れるのは珍しい。ここも今のところは中に
入る事ができ、ドキドキだった。観光客用に
中を綺麗にしているという感じではなく、人が立ち去って
そのまま時間が経過したって感じ。
床板も無くなっているが、柱などの木材はそのままの状態。
 
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他にもいろいろ写真を撮ったが、
雨の音と、薄暗さで怖くなり外に退散。
レンガ組みの台所もあった。建物の外にはビール瓶の破片が落ちていたが、
当時の物かな?ちょっと分からず。
 
鉱山鉄道跡があると看板に出ていたので見に行こうとしたが
あまりに距離がありそうなので途中で断念。
登る途中にもあちこちに遺構が残っている。
使用用途は不明。                  ↓第三発電所
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戻る途中、「落ちない石」を撮影。受験生が好みそう?
 
2日続けて結構な雨が降ったと思うが、川の水量はかなりのもの。しかし、流れる水は澄んでいてちょっと驚き。
  
  つづく

別子銅山観光(愛媛県)(3)

あ、今さらですが、日曜日は1回も自転車に乗らなかったので
書庫は「その他」にしております。
 
資料館の奥をずっと歩いていくと、途中からアスファルトが終わり、
砂利道になる。道幅もかなり細いが、MTBなら行っていけなくはなさそう。
でもMTBで行くのはやめてね♪
 
途中、住宅跡があったりするが、特に目立ったところはなし。
しかししばらく歩くと突然、目の前がぱっと開け、だだっ広い広場に出る。
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 トンネルとトンネルの間にある広場で、もともとは白黒写真のような建物が建っていたらしい。ここも一応廃線になる。
広場には木が生えていたが、これも植林のようだ。晴れていたら芝生が気持ちよさそうな所だった。日も射しこむくらいの密度でしか木が生えておらず、きっと心地よいだろう。この日は雨だったけど…orz。
 
  
すぐ広場入口すぐ横には火薬庫があり、説明看板も設置。
事故があって爆風が出ても被害が少なく済むように、
出入り口は横向きになっている。
また、中には入れないが、中の通路もL字型(?)に
曲がっていて、爆風がまっすぐ通れないようになっているらしい。 
 
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 火薬の説明も詳しく載っており、写真の解説付きだった。一人でうろついていたので、この火薬庫の中を覗き込むのは非常にビビった。特に何がある訳でもないが、暗いし雨が降っているし、寒いし・・・イメージ 12
 
 
この広場から登山道に変わっていくようで、
結構本格的なもののようだった。
途中にはヒュッテなどもあるらしく、前日に見た人のスタイルは
完全に登山のスタイル。機会があれば行ってみたいけど、
登山の経験はないしな~(^_^;)
イメージ 1
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8角形の井戸(?)は珍しく感じたので撮影。
井戸かどうかは不明。枯葉が堆積しており、
今は“井戸”ではなかった。 
 
この広場の奥から再びトンネルが始まり坑道になる。
今はふさがれているが、当時の様子は白黒写真で紹介されている。
 
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トンネルの門扉は当時のままらしく、白黒写真でも
同じデザインの門扉が写っていた。この時代のデザインって
すごく凝っているので非常に好き。ただ、金属の板を
曲げて加工しただけだけど、すごくオシャレに感じる。
 
これから真っ暗な中に入っていく時に少しでも気分が
和らぐようにかな?それとも坑道から帰ってきた時の事を
考えて、この門扉のデザイン?
 
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 つづく

別子銅山観光(愛媛県)(2)

白黒写真付きの説明看板があり、当時の様子がよく分かる。
写真からは想像できないくらい木が生えており、
どんどん自然に帰っているのが分かった。
下の2枚は保育園跡。水遊び?ができそうな所も
写真右端にちょっと写っている。
イメージ 1
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排水路も石組み。橋は丸太組みの橋で濡れている。
すべりそう~(^_^;)
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これだけ人がいれば当然病院もある。
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 診療科目はどんな感じだったんだろう?医薬品とか衛生状態とか非常に気になるところ。出産もここで?お産婆さんとかいたのかな?坑道に関係する病院だから酸欠とか煤じんとかの病もあったのかな?すごく興味はあるけど、そこまでの資料はここには無かった。
 
ちなみに病院のすぐ横は崖。木が妙な形に伸びていたが、石組みは何とか残っている。でも根っこが大きくなってきたらそのうち崩れるかも。鉄道廃線ではないけど、この風景も生もの。何年かして見に来たらまた違った風景になっているんだろう。
  
 
 
道路に出て、再び資料館の方へ。ガスがひどい。
雨もしとしと降っている。 
イメージ 8
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つづく

別子銅山観光(愛媛県)(1)

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明けて翌日。雨が降っていたので、
とりあえず自転車はナシ。昨日は濡れて
寒かったし…。
一人で来ていたので特に予定も考えておらず、前日見られなかった銅山の観光に時間を費やすことに。これが大正解だった。
 
車で山頂まで上がり、カッパを着て傘を
さしてちょうどいい感じ。徒歩でウロウロ。
 
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あちこちに説明看板が設置されていて、当時の写真も掲載。雰囲気がよく分かる。
 
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 石壁に使われている石の形状は軍艦島(長崎県)で見たものと同じ印象を受けた。面が若干丸みを帯びていて完全な平面ではない。何か意味があっての事なんだろうけど・・・。 ↓
 
 
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資料では最盛期には3800人が暮らしていたという別子銅山。
一つの町があるという事はそれなりの施設が存在したという事。
病院や娯楽施設もあったらしい。当時としては珍しいテレビも
飛ぶように売れたとか。
 
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 最初に銅山が発見されたのは江戸時代。
閉山したのが昭和40年代半ばということで、280年ほど掘られたとの事。
娯楽場もかなり立派なものだったらしいのだが、今では上の通り。
跡地には住友林業が植林をして、木が林立している。当時は茶色の山だったらしいのだが、今は緑の山。先の事を考えて先人が計画していた事らしい。すげ~。
 
右上の写真は娯楽場の敷地だが、中央に見えるくぼみは舞台の下に
あたる部分との事。階段も石組みが残っていた。
他には陶器の破片や、窓ガラスの破片なども見られた。
でもゴミは落ちておらず、きれいなものだった。
 
 つづく

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