2013-12

走り納め

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今年ラスト。
溶けなかった雪が残っています。

明日は毎年恒例の元旦ツーリング。

来年もよろしくお願いします(^O^)
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年末

いよいよ2013年も終わり。
今日で仕事納め。
夏に前任者が退職してから
1日の仕事内容が格段に増え、
「まじめに仕事している」状態が続いている。
(と思う・・・(^_^;))
 
おかげでブログの更新も昔ほどはできていないが、
やっぱり続けていて良かったと今年も思えた。
30代も半ばになって、人の出会いだけじゃなく
別れも発生するようになってきた。
さみしいけどこればっかりは避けられない事だしね。
 
出会いはチームの新人さんが増え、新たな縁ができたし、
ブログでは瀬音さんがコメントをくださるようになった。
旅に出た事で選手レベルとしては完全に初心者レベルに
落ちてしまったが、人の縁が増えた事は大事にしたい。
 
来年(“は”ではなく)よい年になりますよ~に(^人^)

大阪イルミネーション

15日、嫁と大阪のイルミネーション観光へ。
中之島公会堂に映し出される映像が綺麗っぽいので行ってみた。
 
ちなみに、大阪城に映し出されるのもあったのだが、
入城料1600円とあって、断念。多分、城外からでも
ある程度離れたら見えるんだろうけど・・・。
 
人ごみはまあ予想した通り。付き合い始めた頃に
一度見に来ていたので人ごみは覚悟できていた。
 
映像は数分間の映像で、終わると再び1分ほど空けて
同じ映像が流れる。
なので、人の回転は割と早い。
出店も多く、焼き肉のいい匂いが漂ってくるが、
帰り際雨がぱらついた。
御堂筋を通り、南海難波駅前を通って帰路へ。
東京駅の3Dマッピングイルミネーションが昨年話題になったが、
目の前で見てみると確かにすごいと感じた。
錯覚を利用したものなのだろうが、うまいこと作っている。
これだったら大阪城のも一見の価値ありなのかもと思った。
 
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 お し ま い

河内長野駅周辺(2)

 
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街道を進むとできたてほやほやな駐車場が出てきて、観光案内版も新品みたいな感じ。見てみると昨年、文化遺産に登録されたようだ。烏帽子型城跡とあったが、クリートのシューズなので上まで上がらず。
結構寒かったし…。(と言い訳) 
 
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烏帽子型城跡前を進むと高札場を再現した所に出てきた。長野県の木曽福島に行った際にも見たが、向こうのはもっと年季が入った物が展示されていた。
 
こっちのは新品。今の人に分かるような日本語で書かれていた。
三日市宿の入り口にあたる所だったらしい。すぐ横は増福寺となっている。
 
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ちょっと悲しい話もあったようで・・・(上田胸切地蔵の由来↓)
堺の娘が橋本の嫁ぎ先に向かう途中で自害してしまうお話。※
 
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 元々ここにあったのかは不明だが、
明治40ン年の掘り込みがなされた石材。
 広場は整備されたばかりなのか、時間が経過した雰囲気はゼロ。
元は何があったんだろう?
 
 
その後、道をさまよいつつうろうろして帰宅。
寒かったけど、近場にもいろいろあるって分かって
収穫ありだった。
 
 お し ま い
 
 ※
 江戸時代初期に泉州堺のある資産家の娘が紀州橋本にある富豪の息子と婚約がととのい、
吉日を選び花嫁が駕籠にのり、花嫁道具を多くの人夫にかつがせ、西高野街道と通り
上田のこの急勾配の坂にさしかかった時、南の方から一人の男が息を切らせて駆けつけ、
「私は橋本の婚礼先から参ったものですが、今朝花婿になる息子さんがどうゆうわけがあったのか、
伝家の宝刀で自殺を遂げたの事をお伝えに使いとして参った」とのこと。
一行は一旦堺に引き返す事になった。
その時駕籠の中よりただならぬ叫び声が聞こえ、駕籠の戸を開けて見ると、
花嫁は着飾った晴れ着は鮮血に染まり、親元より用意の短刀を逆手に持ってわが胸を突切っており、
手当の施しようもなく、絶えいる息の下より「我が家を出るときに、女と生まれ一旦他家へ嫁いだ以上
決して実家には帰れないと常々両親から教えられ、自分にも深く心に誓っていた。
それに今生涯の夫と定めた人が死んでしまった、かくなるうえは生きて実家には返れませぬ」
といい残してこの坂道で亡くなったという。上田村民はこの花嫁の霊を慰めるために相談し、
この坂道に石地蔵を建てて祀りし、胸切地蔵として供養した。
又この坂を胸切坂とよぶようになった。この胸切地蔵は急勾配の坂の下り口の西側に
おまつりされていたが現在は少し上の交差点に移されお祀されています。

河内長野駅周辺(1)

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富田林の帰りに河内長野駅周辺を散策。
N○Kの「こころ旅」で火野正平が訪れた神社を訪ねてみた。
 
(←○のあたり)
南海高野線:河内長野駅 南西方向
 
 
 
 
 
 
 
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長野神社という神社で16世紀中期に建てられた神社らしい。
お宮は重要文化財とのこと。
境内にある樹木は大きく立派。戦災を免れている様子。
 
その神社のすぐ裏から旧道っぽい道があり、
ふらっと進んでみると、高野街道の文字。
 
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範囲は狭いが、雰囲気の残る通りがあった。
 
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B級グルメってもんじゃないが、酒まんじゅうが売られていた。
しばらく中年女性軍団がたむろしていて、写真を撮るのにしばし待機。
話長いっす…orz。
 
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街道は続き、細い道が伸びていた。
地図で調べてみると、現在は国道371号線が高野街道と
銘打たれていたが、おそらくこっちが本来の街道だと思われる。
道幅も道路の雰囲気も、おそらくそうだろうと思わせる印象。
 
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(2)へつづく

玉手橋(大阪府藤井寺市・柏原市)

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これも富田林市じないちょうを見に行ったついでに見てきたモノ。
有形登録文化財って事で、本に紹介されていたので、
見に行ってきた。
 
(←矢印の先端付近。道明寺駅の南東)
 
 
 
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 昭和3年に造られた橋で鉄製。橋脚はコンクリート。車は渡れないが、歩行者と自転車は通行可。
 
手すりはかなり波打っていて、「ホンマに大丈夫?」とちょっと心配になるほど。
 
遊園地があって、そこに行くための橋だったそうだが、現在は遊園地もなくなり橋だけ残されている。
 
富田林のじないちょうもそうだが、
ここも昭和3年てことはどちらも空襲にあっていない証拠。
 
周辺にはこれ以外にも何か残っているかも?

富田林市寺内町(6)

まちなかに「交通公園」ってのがあるって事で見に行ってみたら
文字通り道路をコンパクトにした公園だった。
交通公園ってほとんどの場合、鉄道関係の公園だったりするのだが
これは意表を突かれた(^_^;)三輪車なんかで子供が練習したりするのかな?
信号なんかもちゃんと動いていて、結構真面目に造られた公園だった。
                            (↓煉瓦壁。当時の様子は不明)
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物々しい雰囲気の柵。いかついな~(・_・;)
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町の周囲には外敵からの侵入をチェックできるように
数本の道しかなかったらしい。(今は増えているみたいだけど)
この坂道は当時の名残らしく、お地蔵さんが祀られていた。
土居の石組みも残されているが、お城の石組みというより、
小さめの石をたくさん積み上げたといった感じ。
地震には耐えられるのだろうか??
 
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こんな感じで、富田林市寺内町散策終了~。
資料館がもう少しだけ充実してくれていると助かるが、
無いよりはまし。土居の名残もあったり、説明板があちこちに
設置されているのも良かった。
後は街の雰囲気かな~。もうちょっと観光客がいても良かったと思うが、
さほど多いとは感じなかった。
 
また石川より高い位置に土地があるので、昔の水利なんかも
興味がある。どうやって水を確保したのかとか、
下水はどこをどう流れたのか等。
 
興味はあるが、廃線じゃないし、石組み煉瓦建築ではないので
自分のストライクゾーンでないのも確か。
貴重な場所ではある事は間違いないと思う。
 
公共交通機関で行くなら近鉄長野線の
富田林駅もしくは富田林西口駅が最寄。
駅から降りたらすぐに町並みに入れる。
スーパー銭湯もあるにはあるらしいので、
じっくり散策したら一日楽しめる感じ。
 
おしまい

お茶

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ちょっと一息。

って何の?(^_^;)

甘すぎず、うま~い

富田林市寺内町(5)

車が普通に通るので、ミラーが設置されている。
これら古民家には人が住まれているので、
生活道として使われているのだ。
景観を損ねないよう支柱はこげ茶色なのだが、
さすがにこれを取り払うのは無理だよね。
人が住んでこその「町」だし。
 
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道幅が狭いので、路駐している車は少ない。
これだけ雰囲気のいい街だと、旧車がお似合い。
 
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各地の城下町や武家屋敷群などで見られる、
辻を曲げて都市設計している箇所が見られる。
ここでは「あてまげ」という言葉で紹介されていた。
完全に1車線ずらすのではなく、半間だけずらす設計。
近代化の過渡期に良く残したなという印象。
まっすぐ道を作る方が手間だったのかも・・・。
 
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↓資料館、交流館。これら保存地区に関する資料が展示されている。
 観光案内図も置かれているので、散策の情報を収集し、休憩するには
 もってこい。向かいにはパン屋とそば屋さんがある。和洋折衷?
 ミノルさん情報ではクリームパンが有名だとか。
 ソフト系のパンが主らしい。でも1日14個は少ない気が…(-_-;)
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 つ づ く

富田林市寺内町(4)

蔵はその土地によっていろいろ造りが違ったりするが、
あまり目立った特徴は気づけず。分かる人には分かるんだろうけど…。
町自体が堅牢な要塞みたいなものだから、
それほど気にする必要はなかったのか?
 
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古民家をリフォームして雑貨屋さんやカフェなどが点在していた。
遠くから見てもちょっと分かりづらいが、通りを散策していると
出てくる。また、建物ごとに説明板が設置されていて、詳しく説明されている。
時代も江戸、明治、大正とまんべんなく残っていて、資料的価値も高いらしい。
問題は自分の大好きな石組み煉瓦建築があまり出てこない・・・。
ま、これはこれで好きなんだけどね・・・(^_^;)
 
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城之門筋と呼ばれる通りが一番のメインストリート。
興正寺(お寺)を中心とした町なので城下町という訳じゃないのに城の門?
 
(※城之門筋に表門を開き、鐘楼・鼓楼を構え、本堂・客殿・庫裏などを配する。 表門は桃山調の高いもので、もと伏見城の城門のひとつと伝えられた興正寺(京都)北門が、安政4年(1857年)に富田林興正寺別院に再移築されたものです。 参考HP
 
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 興正寺は堂々とした正門があり、門の右には楼閣。正門は閉まっていたが、横のくぐり戸は開ける事ができた。
 
ただ、あまりに寒いので中には入らず。
天気が快晴だったらもうちょっとじっくり見ていたと思うのだが・・・。
 
 つ づ く

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